

箱根駅伝からは毎年多くのスター選手が誕生してきました。
柏原竜二選手が東洋大学の1年生ながら5区の山登りで新記録を更新した時にはビビりました。


箱根駅伝で活躍した選手たちは今どこで何をしているか気になりませんか?
実業団で活躍してるのか?
それとも陸上を引退してしまったのか?
また・・母校に戻ってコーチや監督に?

箱根駅伝を盛り上げた選手たちのその後を紹介していきます!
山の神、柏原竜二選手(東洋大学)


“東洋大学の柏原竜二”といえば箱根駅伝ファンならずとも知っている山の神です。
高低差800m以上に達する箱根駅伝最大の難所「5区」を柏原選手はなんと1年生から4年生まで4年連続で出走したまさに神。

山の神は4年連続で山を登っただけじゃない!

柏原竜二選手は4年連続の区間賞、そのうち3回も区間記録を更新し、山の神の名をほしいままにしました。

柏原竜二選手は大学卒業後に実業団の富士通の陸上部に在籍。
しかし、度重なる故障に見舞われ2017年3月31日をもって現役引退を発表します。

現役引退後の柏原竜二選手選手はアメリカンフットボール部である富士通フロンティアーズのマネージャーを務めています。

実は柏原竜二選手の素顔はアニメが好きでやさしくユーモアにあふれています。
Twitterもやっていて、11万人以上からフォローされています。

2014年の箱根駅伝で東洋大学の設楽悠太の力走を伝えようとした解説者が「柏原竜二亡き後の…」
と言ってしまった時の柏原竜二選手のレスポンスが最高です。
テレビ実況では死んだことになってるらしいアカウントはこちらです。
— 柏原竜二 (@kashi0713) 2014年1月2日
けいれんと闘った21世紀最強男佐藤悠基選手(東海大学)

佐藤悠基選手が陸上の天才と言われ始めたのは中学生の時。
「超新人」「新怪物」「21世紀最強男」など佐藤悠基選手の別名はいくつも存在します。

駅伝の名門、佐久長聖高校に入学後は高校日本記録を塗り替えて同じく名門の東海大学へ進学。
佐藤悠基選手は小さな頃から陸上の超エリートだったんですね。
箱根駅伝では1年生ながらいきなり8人抜きで区間記録を大幅に更新。
3年連続で区間記録を更新するという素晴らしい活躍を見せたスター選手です。
しかし、大学時代には完全無欠の快走の裏側で「足のけいれん」など数々の苦悩を抱えていました。
東海大学卒業後は日清食品グループに入社
本陸上競技選手権大会10000mでは2011年以降4連覇を果たすなどトラックで活躍を見せています。
2018年の東京マラソンでは8位の成績を残していますね!
金髪で箱根駅伝?!徳本一善選手(法政大学)

サウ君 箱根駅伝に、ある意味ヤバい選手がいたって知ってる?

シマサウ君 箱根駅伝を走った選手の中でも、いろんな意味で話題になった選手と言えば金髪で箱根駅伝に出場した徳本一善選手よね


徳本一善選手は神は金髪、ビッグマウスでも大きな話題を呼んだ選手でした。

成績の面でも優秀で2年生と3年生の時には区間新記録を出しています。
茶髪やオレンジ(法政カラー?!)の髪の毛にサングラスという格好で箱根駅伝を走ったのはおそらく徳本一善選手だけではないでしょうか?

もちろん、金髪やサングラスの前例はないので、批判もたくさんされたでしょう。
でも、きちんと結果をだしているので周りも黙らざるおえなかったんでしょうね。
4年生で出場した箱根駅伝で、徳本一善選手は肉離れを発症してスタートからわずか6キロで棄権をしてしまいます。

大学卒業後は、様々な企業からラブコールが合った中で日清食品に入社。
監督の「自分らしく競技できるのが一番いいんだ。お前は金髪が似合う。それでいいじゃないか。」という言葉に惹かれて入団を決めたそうです。

2012年4月駿河台大学の監督に就任。
モンテローザにも社員として所属しつつ、39歳の現在も現役ランナーを続けています。
箱根駅伝のスターはその後どうなった?実業団で活躍?引退した選手も!まとめ
箱根駅伝で活躍した名選手たちの卒業後の様子はさまざまです。
実業団でもスター選手として活躍し続けたり、オリッピックや世界的な大会で活躍するのはとても難しいことなのかもしれません。
箱根駅伝の伝説のランナーたちのその後を追ってみたら・・
現役引退をした選手もいれば競技を続けながら指導者の道を歩んでいる選手もいます。
スター選手それぞれにドラマがありましたね・・!
今後はどんなスター選手が誕生するのでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございました。