


箱根駅伝を観てると、白黒のとっても古い写真などが紹介されることがありますよね?
95年前ってことは・・
大正時代?!
箱根駅伝はいつ何がきっかけで始まった大会なのでしょうか?
箱根駅伝の歴史や由来、出場のルールについてもお伝えします!
箱根駅伝はいつ、何がきっかけで始まったの
箱根駅伝が始まったのは1920年、大正ねんのこと。
今から98年も前にさかのぼります。
ここで、箱根駅伝を語る上では欠かせない重要な人物が登場します。
その人の名は、マラソンの父と称えられている金栗四三氏。

そう、金栗四三氏は2019年のの大河ドラマのモデルになった人物ですね。
大河ドラマ「いだてん」
青森県八戸市で、1/6放送初日にパブリックビューイング!
八戸出身の五輪選手とのトークショーも計画しているそうです☆もしやあの方々…!?
関係ないけど、羅川真里茂先生も八戸出身だったんだなぁ☆***
「いだてん」出演者招きPVhttps://t.co/ZHhHqCvZui#いだてん
— 小栗さくら@歴史タレント (@oguri_sakura) 2018年8月29日

金栗四三氏は1912年のストックホルムオリンピックに参加したものの、途中棄権するという残念な結果に終わってしまいました。

目を覚ましたのは既に競技が終わった翌日の朝であったというエピソードがすごい・・

そもそも、108年前に日本からストッックホルムに行くって・・・
きっと何十日間という必死の航海だったはず。

ストックホルムオリンピックは、日本選手団はたったの二人。
それなのに、棄権だなんて・・
この悔しすぎる雪辱を果たすため、金栗四三氏は世界に通用するランナーの育成』を目標に掲げます。
箱根駅伝の前身は『東海道駅伝』だった
ストックホルムオリンピックから5年後の1917年、今から101年前に日本で初めての駅伝『東海道駅伝』が行われました。

『東海道駅伝』は京都と東京間の516キロを23区画に分けた、大きなスケールの駅伝。
しかもその距離を、3日間夜通しで走り抜きます。

『東海道駅伝』は大成功します。
『東海道駅伝』を機に、金栗四三氏大学や師範学校に『駅伝を通じてのランナーの育成をするべきだ』という意義を説きました。
そして金栗四三氏の意義に応じた4つの大学が箱根駅伝創設のきっかけを作りました。
その4つの大学とは・・
早稲田大学
慶応義塾大学
明治大学
筑波大学
です。
第一回箱根駅伝が開催されたのはいつ?
箱根駅伝の第一回って一体どんな大会だったのでしょう?
100年近く前になると、まだ大学自体がそんなにないですよね?

第一回の箱根駅伝は、1920年2月14日と15日の2日間で開催されました。

1920年は日本の年号では大正9年。
日本がまだ大日本帝国だった時代です

箱根が選ばれた理由としては、冬場に観光客が減ってしまう箱根に観光客を呼び込むという意味合いもあったのではないかといわれています。
箱根駅伝第一回大会の参加チームはどこ?
第一回目の参加チームは全部で4チームでした。
大学から長距離の実力者を10人集める必要こと、二日がかりの過酷なレースということもあって参加チームが集まらなかったのだとか・・

箱根駅伝に出場した学生は、2月14日に有楽町にある報知新聞社前からスタートします。
2月14日は土曜日だったから、午前中の授業を受けて13時からのスタートでした。

箱根駅伝第一回大会の優勝チームは?
最終結果は
東京高等師範学校(現在の筑波大)15時間05分16秒
明治大学15時間05分41秒
早稲田大学15時間15分31秒
慶應義塾大学16時間50分56秒という結果にになりました。
優勝は筑波大学だったんですね。

慶應義塾大学の記録ある意味気になりますね。
トップから1時間45分40秒の差がついてしまってます。
今だったら繰り上げスタートになってますね。

箱根駅伝はいつから始まった?金栗四三が生みの親!第一回大会優勝は?まとめ
箱根駅伝の歴史をたどってみると、マラソンの海の親とも言われている金栗四三氏にたどり着きました。
2019年の大河ドラマで取り上げられるので楽しみです・・!
今や日本のお正月の風物詩になっているともいえる箱根駅伝。
たった1人のランナーの思いから誕生した駅伝大会だったのですね。
第一回大会からすでに箱根駅伝のドラマは始まっていたんですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。