昭和の次の元号案メモに書かれていた案とは何?目加田誠教授の思いや公開はいつから?

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昭和の次の元号の原案の1つを考案したとされる九州大学の目加田誠・名誉教授が、

生前、複数の案を記した手書きのメモが、

福岡県大野城市の自宅で見つかっていたことがわかりました。

あと数ヶ月で「平成」という元号が終わりを迎えようとしていますが・・

昭和の次の元号を選ぶ際に目加田教授が考案したとされる案が見つかりました。

九州大学の目加田誠・名誉教授が、生前、複数の案を記した手書きのメモには

どんな元号の案が書かれていたのでしょうか?

また、このメモが公開されるという情報があります。

幻の元号案はいつどこで公開されるのでしょうか?

昭和の次の元号の案が見つかる?

昭和の次の元号の原案の1つを考案したとされる九州大学の目加田誠・名誉教授が、

生前、複数の案を記した手書きのメモが、福岡県大野城市の自宅で見つかっていたことがわかりました。

九州大学の目加田誠・名誉教授は平成6年(今から25年前)に亡くなられています。

九州大学の目加田誠・名誉教授の自宅は自宅は福岡県大野城市にあります。

目加田教授の遺族が寄贈した遺品のなかから

複数の昭和の次の元号の案を記した手書きのメモなど

合わせて9枚の原稿用紙や便箋が見つかったということです。

目加田誠教授の思いや幻の元号案に書かれていた内容は?

昭和の次の元号の原案の1つを考案したとされる九州大学の目加田誠・名誉教授は

中国文学を専門としておられました。

目加田教授のメモからは

昭和の次の元号を選ぶ際に目加田教授が考案したとされるいくつかの案が読み取れます。

その「案」に書かれていたのは

「恭明(きょうめい)」

「敬治(けいじ)」

「修文」(しゅうぶん)

「靖和」(せいわ)

「靖之(せいし)」

「大成(たいせい)」

「天昌」(てんしょう)

「普徳」(ふとく)

「和平(わへい)」

など、少なくとも20の案が読み取れるということです。

書かれた時期はわかりませんが、福岡県大野城市は「修文」が含まれていることや、

それぞれに中国古典の「詩経」や「書経」などの出典が記されていることなどから、

新しい元号の原案を考える際に書かれたメモだとしています。

中国古典が専門で目加田さんと親交があった九州大学の竹村則行・名誉教授は

「目加田先生は壮絶な戦争体験があり、

平和への願いを込めた元号を考えようとしていた様子がうかがえる」

と話しているそうです。

目加田教授は平和への願いをこめて

この「幻の元号案」を考えていたんですね・・

幻の元号案はいつどこで公開?

昭和の次の元号の原案の1つを考案したとされる九州大学の目加田誠・名誉教授が、

生前、複数の案を記した手書きのメモが、福岡県大野城市の自宅で見つかっていたことがわかりました。

目加田教授が生前、複数の案を記した手書きのメモは

3月1日から、福岡県大野城市の

「大野城心のふるさと館」で

一般に公開される予定ということです。

昭和の次の”幻の元号案”メモ見つかる?ネットの意見は?

平成6年に亡くなられた目加田教授が

生前、複数の案を記した手書きのメモに書かれていた

「幻の元号案」が見つかったニュースに対して

どんな声があるのでしょうか?

昭和の次の元号案メモに書かれていた案とは何?目加田誠教授の思いや公開はいつから?まとめ

目加田教授が生前、複数の案を記した手書きのメモに書かれていた

「幻の元号案」は

「修文」(しゅうぶん)

「普徳」(ふとく)

「靖和」(せいわ)

「天昌」(てんしょう)

など・・

20ほどの案があったそうです。

「目加田教授は壮絶な戦争体験があり、

平和への願いを込めた元号を考えようとしていた様子がうかがえる」

ということなので

「平和」を意識してこの元号案が考えられていたことがわかりますね。

平成の次の元号は・・

何になるのでしょうか?!

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