小山智史さんは外務省職員でミャンマー語専門家?カリタス小学校児童の保護者?

川崎市多摩区登戸新町(JR南武線、小田急線登戸駅近く)で28日午前7時45分頃、小学生らが男に刃物のようなもので刺されるなどして18人が死傷した事件で、神奈川県警は死亡した39歳の男性が、東京都世田谷区桜上水5丁目の小山(おやま)智史さんと確認し、発表しました。

小山(おやま)智史さんの職業は調査中だということでしたが・

カリタス小学校に通うお子さんの見送りに来ていて亡くなられてしまった小山智史さん(39)=世田谷区桜上水5丁目=の職業は国家公務員、

外務省広報文化外交戦略課職員だと発表されています。

小山智史さん(39)は外務省に約10人いるミャンマー語専門家の1人で、ミャンマーの大使館にも勤務経験があるほか、

アウン・サン・スー・チーさんが訪日した際には、小山さんは担当官として京都日程に同行していた経験もありました・・

とても優秀な方であり、家族思いのお父さんでもあったという小山智史さん・・

ミャンマーをはじめとする東南アジアとの橋渡し役を担う外務省職員だったようです。

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小山(おやま)智史さんの職業は国家公務員(外務省職員)

川崎市多摩区で28日、小学生らが男に刃物で刺され、多数が死傷した事件で、神奈川県警は死亡したのは小学6年の栗林華子さん(11歳)=東京都多摩市桜ケ丘2丁目=と、国家公務員の小山智史さん(39歳)=東京都世田谷区桜上水5丁目=と確認し、発表しました。

氏名 小山智史(おやま さとし) さん

年齢 39歳

住所 東京都世田谷区桜上水5丁目

職業 国家公務員(外務省の広報文化外交戦略課の職員 ミャンマー語のエキスパート)

宮崎県出身

宮崎大宮高校を卒業して東京外国語大学に進学

ミャンマー語を専攻科目に選ぶ

入省後2年の語学研修後、ミャンマーの日本大使館に3年勤めた経験がある。

大使館では政務分野を担当する傍ら、要人訪問の際には通訳業務もこなす

帰国後は大臣官房総務課を経て、南部アジア部南東アジア第一課に勤務。

ミャンマー語の通訳担当官(大臣クラス以上の通訳が期待されている職員を認定する制度)に。

その後、国内外の報道機関への情報発信や、文化の国際交流の企画などを担う広報文化外交戦略課に所属。

カリタス小に子どもが通っていたとみられる。

小山さんの子どもにはけがはなかった。

国家公務員(外務省の広報文化外交戦略課の職員)の小山智史さんは、ミャンマー語の専門家として、ミャンマーをはじめとする東南アジアとの橋渡し役などをされていたということです。

小山智史さん(39)は宮崎市の出身です。

市内に住む親戚の男性によりますと、午後6時半ごろ、小山さんの父親から「うちの息子が亡くなった」と電話で連絡があったということです。

小山さんは宮崎大宮高校を卒業して東京外国語大学に進学したということです。

小山さんは外務省に約10人いるミャンマー語専門家の1人で、アウン・サン・スー・チーさんが訪日した際には、小山さんは担当官として京都日程に同行していたことも・・

東京外国語大学入学当時、アジアに関心があり、一般に知られていない珍しい言語を学びたいと思っていた小山さんはミャンマー語を専攻科目に選びました。

小山智史さんは2014年のインタビューで

【大学でビルマ語学科を志願した理由は,ミャンマーについてよくわからないからこそ魅力を感じたから,

また,ビルマ語学科の大学後期入学試験の倍率が,他言語と比較して最も低かったからです(笑)。

大学でミャンマー語を学んだので,その勉強を生かせる外務省の専門職になろうと決め,専門職試験を受験し,現在外交官として働いています。】

と答えています。

小山さんは東京外国語大学在学中に初めてミャンマーを訪問し、何とも言えないミャンマーの魅力を感じたそうです。

東京外国語大学で学んだことを活かせる仕事に就きたいと2004年に外務省に入省。

研修語は希望通りミャンマー語を指定されました

平成25年(2013年)4月、ノーベル平和賞受賞者で世界的な著名人であるアウン・サン・スー・チーさんが来日し、京都市内でプライベートの買い物をするため、急遽買い物の通訳を務めることになった小山さん。

アウン・サン・スー・チーさんの好みに合うようなお菓子を一緒に探した小山さんは、その功績が認められたのか、その後の日程でも「お菓子担当」に任命され、大活躍だったそうです。

チャレンジ!外国語 外務省の外国語専門家インタビュー ミャンマー語の専門家 小山さん(外務省)

小山(おやま)智史さんはカリタス小学校に通う子供の見送りに来ていた?

神奈川県川崎市で28日朝、19人が男に刃物で刺される事件があり、小学6年生の女の子と39歳の男性の2人が死亡しました。

刺した男は身柄を確保されましたが、自分で首を切っていてその後、死亡しました。

警察や消防によると28日午前7時45分頃、神奈川県川崎市の登戸駅付近で、「路上の小学生が刺された」などと通報がありました。

大人と子供合わせて19人が男に刃物で刺されるなどして、

東京・多摩市桜ケ丘2丁目の小学6年生・栗林華子さん(11)と

世田谷区桜上水5丁目の小山智史さん(39)が亡くなられました。

また40代の女性が重傷を負い、児童16人もケガをしたということです。

刺した男は身柄を確保されたが、自ら首を切っていて、その後、死亡が確認されました。

捜査関係者によると男は所持品などから川崎市麻生区に住む51歳の男とみられ、凶器とみられる包丁2本を持っていたほか、リュックサックの中から別の包丁2本が見つかったということです。

亡くなった小山さんは子どもの見送りに来ていたとみられ、最初に後ろから背中を刺されたとみられています。

外務省職員であり、ミャンマー語のエキスパートとしてミャンマーとの交流に尽力されていた小山(おやま)智史さん。

小山さんは現在、外務省の広報文化外交戦略課の職員。

入省後2年の語学研修後、ミャンマーの日本大使館に3年勤めた経験があり、日本とミャンマーの交流に役立ちたいと話していたということです・・

外務省の同僚らは「本当にいい人だったのでショック。」「家族思いだった」と突然のことにかなり大きな衝撃を受けているようでした・・

外務省の元同僚だと言う女性は、

「奥さんもお子さんも非常に大事にしてらして。休みの日によくお子さんとここで遊んでたので全然信じられない。本当に?って感じで」

とお話されています。

小山(おやま)智史さんは外務省広報文化外交戦略課職員?

神奈川県警によると、川崎市の路上で襲われ死亡した小山智史さん(39)は外務省職員であったことが明らかになっています。

朝日新聞は、外務省職員の小山智史さんについて次のように報道しています。

川崎市多摩区で小学生の児童ら19人が刺された事件で、小学6年の女児(12)とともに亡くなった男性は、外務省職員の小山智史さん(39)だった。

 外務省によると、小山さんは大学時代にミャンマー語を学び、2004年に専門職として外務省に入省した。入省後2年の語学研修後、ミャンマーの日本大使館に3年勤めた。外相など閣僚級以上の通訳を担う「通訳担当官」で、現在は、国内外の報道機関への情報発信や、文化の国際交流の企画などを担う広報文化外交戦略課に所属していた。

 小山さんと親交があった外務省職員はニュースで名前を聞き、「まさか」と思った。報じられた住所の近くには、外務省の職員用の官舎があるからだ。本人と知り、言葉を失った。「(小山さんは)1年後輩だった。一緒にミャンマーでの国際会議に出張したこともある。信じられない」

 この職員によると、小山さんは明るい性格で、同僚との助け合いを大切にしていた。現在は直接ミャンマーを担当していないが、古巣の同僚と廊下であいさつを交わす姿がよく見られたという。「本当にナイスガイだった。一緒に仕事がしたいと思わせる人だった」と、言葉を詰まらせた。

 小山さんは、外務省の採用案内にも登場していた。その中で小山さんは「(仕事は)多忙を極めていますが、ミャンマーが好きなので、モチベーションを維持することができます」と語り、妻とともにミャンマーの民族衣装を着ている写真を紹介した。

 外務省での仕事のやりがいは、「最前線で時代が大きく動く場面を目撃できる」ことだとも述べていた。紹介文の最後は、小山さんの夢で結ばれている。

 「日本がミャンマーを正しく理解できるようなイベントなど、両国の交流が進むアイデアを出していきたい」

出典  死亡の外務省職員、ミャンマー友好に情熱 閣僚通訳も 朝日新聞

小山(おやま)智史さんは外務省職員でミャンマー語専門家?カリタス小学校児童の保護者?まとめ

川崎市の登戸駅前で通学中の小学生ら19人が刃物で襲われる事件が28日午前、発生しました。

これまでに東京都・多摩市桜ケ丘2丁目の小学6年の栗林華子さん(11)と39歳の世田谷区桜上水5丁目の外務省職員小山智史さんの死亡が確認されたということです。

神奈川県警によると、川崎市の路上で襲われ死亡した小山智史さん(39)は外務省職員、ミャンマー語のエキスパートだということです。

宮崎県出身で、宮崎県トップクラスの進学校、宮崎大宮高校を卒業、

東京外国語大学でミャンマー語を専攻に選び、2004年に外務省に入省。

ミャンマーで2005年から2年間の語学研修を経て、3年間を在ミャンマー日本大使館で勤務。

大使館では政務分野を担当する傍ら、要人訪問の際には通訳業務もこなしました。

帰国後は大臣官房総務課を経て、南部アジア部南東アジア第一課に勤務。

ミャンマー語の通訳担当官(大臣クラス以上の通訳が期待されている職員を認定する制度)に。

その後、国内外の報道機関への情報発信や、文化の国際交流の企画などを担う広報文化外交戦略課に所属していました・・

アウン・サン・スー・チーさんの「お菓子担当」に任命されたこともあったというとても優秀な外務省職員であり、お子さん思いのお父さんでもあったそうです・・

ミャンマーをはじめとする東南アジアとの橋渡し役を担う外務省職員が、あまりにも卑劣な事件の被害者になってしまいました・・