田辺聖子と夫(川野純夫)は再婚で子供(連れ子)は何人?死去の理由やお別れの会はいつ?

「姥ざかり」「ジョゼと虎と魚たち」など恋愛小説の名手として知られた作家の田辺聖子さんが6日、胆管炎で91歳で死去されたことがわかりました。

大阪弁を駆使した軽妙な文体の小説やエッセー、さらに評伝や古典を現代によみがえらせた作品を次々に発表し、世代を超えて愛されてきた作家、田辺聖子さん。

20代など若い世代でも「ジョゼと虎と魚たち(妻夫木聡さん、池脇千鶴さん主演)」の映画を観たことがある、という方も多いかもしれませんね。

田辺聖子さんの結婚の時期やお相手とのなれそめ、

ご結婚されたお相手の川野純夫医師について、

再婚だった川野純夫さんの連れ子(二男二女)の母として子育てをされ家庭を切り盛りしてこられたということですが・・

川野純夫医師と田辺聖子さんとの間には何人のお子さんがいたのでしょうか?

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作家の田辺聖子さん死去 91歳 文化勲章受章

人生の機微をすくい取った恋愛小説や、ユーモアにあふれたエッセーで人気を集めた文化勲章受章者の作家、田辺聖子(たなべ・せいこ)さんが、6日午後1時28分、総胆管結石による胆管炎のため死去した。91歳だった。通夜・密葬は親族で済ませた。喪主は、弟の田辺聰(あきら)さん。後日、東京と大阪でお別れの会を開く予定。

 大阪市生まれ。写真館だった実家が戦災で焼失し、敗戦直後に父が死去した。樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大)卒業後、大阪の金物問屋に就職。一家の生計を支えながら小説を書き、大阪文学学校にも通った。

 1957年、女の一生を生き生きとした大阪弁で描いた「花狩(はながり)」が雑誌の懸賞小説に佳作入選してデビュー。64年、放送作家の女性と党員の男性の恋を、女性の男友達の醒(さ)めた視点でつづる「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」で芥川賞を受賞した。

 その後、鋭い人間観察をユーモアでくるんだ多くの作品を発表。恋愛小説では自立する独身女性、ドラマ化された「姥(うば)ざかり」シリーズでは老後を楽しむ女性ら、時代を先取りする人物を描いた。

 「カモカのおっちゃん」のモデルとして親しまれた夫の故・川野純夫さんとの生活を軽妙につづったシリーズや、社会風刺の利いたユーモラスなエッセーも人気を集めた。「ひねくれ一茶」(93年吉川英治文学賞)、「道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府(すいふ)とその時代」(98年泉鏡花文学賞ほか)など評論・伝記文学でも高い評価を得た。「源氏物語」など王朝文学の翻案にも力を注いだ。

 2006年度朝日賞。94年菊池寛賞、95年紫綬褒章、00年文化功労者、08年文化勲章受章。NHKの朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」(06~07年)では、主人公のモデルとなった。

出典 朝日新聞

田辺聖子と結婚した夫(川野純夫)は再婚?子供(連れ子)は何人?

田辺さんは、1966年(昭和41年)、皮膚科のお医者さんだった川野純夫さんと結婚されています。

長年独身だった田辺さんでしたが、38歳の時、文学仲間の川野彰子さんへの追悼文を寄せたことが縁でその夫で神戸で医師をしていた川野純夫さんと知り合い、

1966年に後妻として川野さんと結婚。

田辺さんは再婚だった川野さんの四人の子どもたちも含めて、新しい家庭生活を始めました。

川野さんが2002年に死別するまで36年間連れ添いました。

田辺さんのエッセイに登場し親しまれた「カモカのおっちゃん」は、当初は完全な架空の人物という設定でしたが、

イラストを担当した高橋孟さんが夫の川野純夫さんをモデルとして描いたことから、川野さんという扱いになっていきました。

田辺聖子は過去のインタビューで

【 私は38歳で結婚して、いっぺんに4人の子持ちになりました。おっちゃん(夫の川野純夫)は再婚で前の奥さんとの間に連れ子がいたんです。

おじいちゃんおばあちゃんも同居していたので、大家族の中で育ったけれど結婚してからも大家族でした。

作家としても芥川賞をとって連載を何本も抱えていましたから、私の30代はまさに大車輪。どこにそんなエネルギーがあるのかと人からよく驚かれたものです。】

【私は自分の子どもは産まなかったけど、連れ子でも子供は可愛かった。】

【上の子はもう大きかったから何もムリに「お母ちゃん」って呼ばせることはないと思って、ずっと「聖子おばちゃん」で通した】

と述べています。

出典ワンオペ家事にくじけたら。仕事と家庭の両立

田辺聖子ご自身にはお子さんはいらっしゃいませんでしたが、4人の連れ子さん(二男二女)たちの子育てに奮闘されていたようですね。

田辺聖子さんが総胆管結石による胆管炎のため、死去、お別れの会はいつ?

文化勲章受章者の作家、田辺聖子(たなべ・せいこ)さんが、6日午後1時28分、総胆管結石による胆管炎のため、神戸市内の病院で死去されました。

後日、東京と大阪でそれぞれお別れの会を開く予定ということです。

田辺聖子と夫(川野純夫)は再婚で子供(連れ子)は何人?死去の理由やお別れの会はいつ?まとめ

作家の田辺聖子さんが6日午後1時28分、胆管炎のため神戸市内の病院で91歳で死去されました。

田辺さんは軽妙な筆致のユーモア小説で知られる人気作家で文化勲章受章者。

1964年に「感傷旅行」で第50回芥川賞を受賞しました。

私生活では38歳の時、若くして亡くなられた文学仲間の川野彰子さんの夫であり皮膚科のお医者さんだった川野純夫さんと結婚されています。

夫の川野純夫さんとの間には、再婚だった川野純夫さんの連れ子さんが4人おり、

作家としても芥川賞をとって連載を何本も抱える中で子育てにも奮闘されていたようです。

田辺聖子さんのご冥福をお祈りします。